YABUへびぃ 2008年09月

オリジナル曲作成・カヴァー曲選曲・心に残っている名曲にまつわる裏話、或いは日々の生活をのんびり暴露していきます。

YABUへびぃ

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美人考 

美人考/YABU

顔立ちの悪い女は 可哀想だと思う
どんなに優しくても 突き放される

それでも綺麗になろうと 努力して
化粧を覚えたとしても 厚化粧だとバカにされる

あゝ いつだって あゝ そうだろう
こんなことほざいてる俺だって 一緒に暮らしてゆくには
やっぱり美人のほうが いいと思う

理想的美人は どんな美人
世の中の美人は 心と体の不釣合いな
後姿の病的美人


顔立ちのいい女は 得だと思う
少しくらい我が儘でも 世間じゃ許される

とんでもない粗相を やらかしても
肌をチラつかせて すべて洗い流してしまう

あゝ いつだって あゝ そうだろう
林檎の皮もむけないくせに 優しさの欠片もないくせに
それでも自分を女だと 言い張るつもりかい

理想的美人は どんな美人
世の中の美人は 心と体の不釣合いな
後姿の病的美人





学生時代に作った歌だが、予想とは裏腹に結構女性にウケた作品。

美人考とは、
…「美人」という言葉の意味について考える…
という造語である。

「性格美人」などと口にする人もいるが、「美人」とは本来容姿に用いるものである。
目鼻立ちがどんなに整っていても、ぽっちゃり系の女性にはあまり使わない。
まかり間違えば厭味に取られかねない。

世の女性は「美人」と言われたら、みんな嬉しいものなのだろうか…

試しに、おたみに聞いてみたが、
即答で「嬉しくない」と返ってきた。

やはり、言われたことが無い人に聞いても参考にはならない。

俺の偏見だが、美人は冷淡だというイメージがある。
俗に美人と言われる人と付き合ったことがないので、この誤解は一生解けないだろう。

にしても、俺にも外見の好みはある。
どちらかというと、やや華奢な感じ…

今まで付き合った人を含めて、異性として好意をもった女性はすべてやや細身か或いは標準系だった。

なぜおたみを好きになったのか、未だに謎である。
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pierrot 

2003年7月、おたみとのメル友が始まった。

家で日頃メールなどほとんどしない俺がこんなことをやっていると、妻にバレるのは必至である。
そんなわけで、仕事の合間合間に俺は夢中で親指を動かしていた。

もともとかなり惹かれていたのだが、想いは深まるばかり…
薄々は感じていたが、おたみが既に離婚していたことも聞かされた。

そのうち、喋り下手な俺が「電話してもいいか?」とメールし出した。
なぜか、あの時は自信に満ち溢れていたような気がする。

さらにエスカレートし、「会ってくれ」と言い出した。
もう、止められない…

おたみも色々悩んだのだろうが、結局は密会が始まった。

会社からおたみの家まで片道40分。
それでもチャンスあらばセッセと脚を運び、段々とおたみを本気にさせていった。

その間4ヶ月…
ヤバかった事も何度かあり、「妻に薄々感づかれているのではないか?」と思った。

12月某日、俺はどうしても真実を話さなければいけない状況に追い込まれた。

当然「やっぱり…」というセリフが返ってくるだろうと思っていたが、そうではなかった。

そして修羅場。


その場はなんとか治まったものの…

数週間後のLIVE、
俺は出演者、おたみは司会、妻はスタッフ、このなんとも言えない雰囲気を、
ここでどう表現したらいいのかわからない。

みんな頑張っていたことだけは確かだ。




pierrot/YABU 

もうここから先へは 踏み込めないよ
傷つけ合うことは わかっているから

君の心の隙間に 付け込んで奪おうとしていた
ずるい自分に気づいたから 本気にはなれない

無理に笑わなくていいよ
きっと僕の力で笑わせてみせる
この思いがとどかなくても
君の笑顔が見れるなら
僕もほんの少しだけ
しあわせだから

もうこれ以上側に 近づかないで
その無邪気な優しさを 勘違いしそうだから

君が悲しみに沈んで 笑顔を忘れないように
終演の幕が降りても ずっと見ているよ

苦手な綱渡りや
一輪車や玉乗りだって
君の笑顔のためなら
がんばってできる

僕の独り舞台に
巻き込んだりはしないよ
笑い者になるのは
僕一人だけでいい





おたみとの関係は終わらせるのが筋だったかもしれない。
だが、どうしても戻れない自分が居ることも知っていた。

そう、終演の幕は降りなかった。

一緒に遊ぼう 

もう10年ほど前になるが、「えっ!?」と思ったことがある。
幼稚園に床暖房?老人ホームならわかるが…


さらに時を同じくして、『園児が砂場で遊ぶ時は手袋をさせる』幼稚園をテレビで観た。

「過保護にもほどがある!こんなことだから最近の子供は抵抗力が弱くなっていくのだ!」
と、心の中で叫んだ。

しかしながらこれも時勢、今の子供が大人になったら何の問題もなく暮らしていけるのだろう。
たぶん、俺たちの親の世代は俺たちを見て同じようなことを感じたに違いない。

確かに泥んこ遊びや木登りをする子供たちをあまり見かけなくなった。
おまけに、ジャングルジムやブランコ…子供の頃普通に遊んでいたものがどんどん撤去されていく。

だけど、子供たちは退屈しているわけではない。
かわりに与えられたものがある、それがTVゲーム機器。

ひとむかし前は贅沢なオモチャだと思っていたが、今やその普及率は半端じゃない。

俺が親なら、
「そんなものいらないから、外で遊びなさい!」
と言いたいところだが、持ってないと仲間はずれになるらしい。

これも時勢、仕方の無いことなのだろうか…

最近のゲームは凄い!
戦闘ものだとか、かなりリアルだ。

少年犯罪が急増した原因のひとつに挙げられているのも頷ける。

これも時勢…とは言いたくないところだ。




一緒に遊ぼう/YABU

また新種のウィルスが僕等のからだを侵しはじめる
発熱だとか腹痛程度で命をおとす子供がふえてる

抗菌除菌殺菌だと空気を汚してる奴等が叫ぶ
行過ぎた過保護な社会が子供達を虚弱にしている

だけど彼等はたぶん 戸惑うことなく成長してゆく
僕等が大人を見て 順調に育ってきたように

泥んこまみれになって遊ぼう 擦り傷なんか忘れて遊ぼう
子供のうちは子供っぽい方がきっと後悔しないから
難しいことは考えないで一緒に遊ぼう


この虫の名前を知らないのかい あの花の名前を知らないのかい
キャッチボールや木登りをしたり みんなでできる遊びを知っているかい

推理小説の真似事や ドラマの不遇な役になりきって 
重たい刃物を握り締めるより もっとおもしろいことがある

気分を晴らすために遊ぼう 意地を張るのはやめて遊ぼう
独りでいるより騒がしい方がきっと退屈しないから
青い空と太陽の下で一緒に遊ぼう

泥んこまみれになって遊ぼう 擦り傷なんか忘れて遊ぼう
さあ僕と一緒に遊ぼう 嫌なことは忘れて遊ぼう

子供のうちは子供っぽい方がきっと後悔しないから
難しいことは考えないで一緒に遊ぼう

日溜まりの中 

2003年初夏、
テレビで、
「お爺ちゃん、今でも愛していますよ。」
と、ある老婦人が言っているのを観た。

なんとも微笑ましく、素晴らしいことだろう。
それが理想とは一概に言えないが、こんな老夫婦になれたらなぁ…と思った。

夫婦生活も早10年、原因の根本はここには書けないが、お互い冷めきっていた。
このままではいけない…いや、こうあるべきだという思いを込めて、曲を作った。

それから暫くして、おたみとのメールが始まった。

ステージでこの曲を歌ったときは、もう気持ちがだいぶん薄れていたかもしれない。

妻へ宛てた未来へのLOVE・SONGは、たった一度きりの演奏となってしまった。


しかしながらこの曲、自分の作品の中では結構お気に入りである。

それをおたみに話すと、
「私なんかその時その時で歌う対象は変わるし、気にせんでえぇんじゃない?」
と言ってくれるが、結構リアルに描写しているので対象を変えるのは難しい。

何より、おたみとは喧嘩らしい喧嘩はしたことないし、相性はいいと思う。

そうなれば、歌詞を一部変えなければならないが、歌としてどうだろう…

やはり、幻の名曲として封印しておくのが無難である。




日溜まりの中/YABU

何でもないことで 喧嘩ばかりしている
相性占いはいつも ちっともよくない
だけど何とかここまで 乗り越えてきたよね
坂道を息を切らしながら 上るまだ途中だけれど

本当は寂しがりやの君が 真剣に話す
いつか年老いても 先に死んじゃ駄目だよ

ずっとふたりでこのまま しわくちゃな顔になりながら
日溜まりの中手をつないで ふらふら歩いてゆこう
誰もが羨ましがるくらい
仲良しな老夫婦になれたらいいね


君は庭に並べた 小さな鉢植えを眺める
僕は危なげな指使いで 下手くそなギターを鳴らす
暖かな日溜まりの中 縁側に腰掛けて
そんな毎日を過ごせる時が 訪れるよきっと

辛いことがたくさんあっても 思い出にできるよ
失いかけた記憶をたどって 昔話に花を咲かせよう

ずっとふたりでこのまま 歳を重ねてゆこう
そして最期は微笑みながら 安らかな眠りにつこう
君と暮らせてよかったと言える それだけでいい
それだけでいい

英雄 

スーパーマリオ 2 から出来た曲が「砦」
そしてもうひとつ、ドラクエ Ⅱ から出来たのがこの曲。




英雄/YABU

闘うことが嫌だというなら
命をすり減らしながら 生きてゆくしかない
後退りばかりしていたんじゃ
いつまでたっても革命は起こらない

すっかり準備は出来ているぜ
あとはおまえのタイミング次第
目を覚ませ 立ち上がれ
時間はいつまでも待ってはくれない

鉄の鎧の重さを忘れることが出来たら
きっと誰もが認めてくれるさ おまえの勇姿
鉄の鎧の重さを忘れるために
どんな力も跳ね返せる英雄になれ


汚れた現実を覆すというなら
味方は一人でも多いほうがいい
今のおまえに真実を証明できるものは
その本気になった瞳以外なにもない

敗北を恐れたらもう終わりさ
約束を必ず果たすのが使命
剣をとれ 脚を踏み出せ
旗を揚げるのはおまえしかいない

鉄の鎧の重さを忘れることが出来たら
きっと誰もが認めてくれるさ おまえの勇姿
鉄の鎧の重さを忘れるために
どんな力も跳ね返せる英雄になれ





「鉄の鎧」とは、まさにアイテムそのものだ。

行進曲風にしようと思った。

リズムは水戸黄門のテーマソングと一緒だ。
しかしながら、引っ張ってきたのは、さだまさしの「風に立つライオン」のエンディングからである。

メロディよりもリズムが先に決まったのは、極希である。

このリズムをアコギで刻みながら歌うのは少々難関だったが、LIVEの後半盛り上げるのにおおいに役立った。


ちなみに、
さすがに桃鉄からは作品が生まれなかった。

椰子の実 

椰子の実/国民歌謡

名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ

故郷の岸を 離れて
汝はそも 波に幾月

旧の木は 生いや茂れる
枝はなお 影をやなせる

われもまた 渚を枕
孤身の 浮寝の旅ぞ

実をとりて 胸にあつれば
新なり 流離の憂

海の日の 沈むを見れば
激り落つ 異郷の涙

思いやる 八重の汐々
いずれの日にか 国に帰らん





ご存知、島崎藤村作詞・大中寅二作曲の名曲である。

子供の頃、姉の影響でピアノを習っていたのだが、課題曲として脳裏に焼きついている。
その訳は、男の先生だったのだが、下手くそな絵を描きながらこの詞の意味を説明してくれたからである。

ピアノを習っていたといっても、腕前はたいしたことはない。
何しろ練習嫌いだったので、レッスン当日にピアノを初めて開くこともしばしば…

もちろん、怒られた。
といっても、怒鳴られたわけではなく、ちゃんと弾けるまで何度も何度も弾かされた。
涙をぼろぼろ零しながら…

「同じような生徒が何人かいるが、みんなふてくされて逃げてしまうのに、根性のある子だ!」
と、母親に言ったらしい。
どうやら、気に入られたようだ。

日曜日に生徒もう一人と、海に連れて行ってもらったこともある。
買ってもらったトウモロコシが美味かったことだけは、よく覚えている。


中学に入学すると同時に、クラブ活動が忙しいという理由でピアノはやめてしまった。
今考えると勿体無かった気もするが、ギターを始める時に役に立ったことだけは間違いない。

そしてこの曲を前にすると、今でも先生の顔と楽譜の落書きが浮かんでくる。

 

砦/YABU

毎日同じしくじりの繰り返し
自分が嫌になるほど躓き通し
こんなに単純なことがどうにもならない
攻めてくる有様はまた同じだというのに

僕にとっての砦がいくつも立ち並ぶ
いい加減に諦めろと狙いを定める
こんなに狭い自由の中で
いったい何を満足しろというのか

いいえ僕は引き返したりしません
罠は百も承知で歩き出したのだから
僕の目指す世界はまだずっと遠く
あなたの手の届かない遙か遠い国


やっとの思いでここまでたどり着いた
目の前には桁外れの壁が立ちはだかる
いくつもの妨げを乗り越えてきた僕を
あたかも待ち伏せていたかのように

今ここに本当の砦が姿を現し
叶わぬ夢など捨ててしまえとその手を伸ばす
欲しいものを目の前にして
何も持たずに背中を向けろというのか

いいえ僕は引き返したりしません
罠は百も承知でやって来たのだから
僕の目指す世界はもうすぐだけど
あなたの手の届かない遙か遠い国





一見、何やら意味深い詞のような気もするが、
これほど安易に作った歌は無い。

前に記したとおり、親友Sの下宿でファミコンにハマっていた。

やったことがある人は情景が浮かんでくるだろう。
スーパーマリオ 2。

そう、まさにこの歌の主人公はマリオである。
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